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Interview@philiahall


世界を知り、自らの道を知る。音楽家として為すべきことを。
ギター:山下和仁

2011年6月3日(金)19:00
山下和仁

 

「新たなるギターの巨匠たち〜バッハがつなぐギターの宇宙」シリーズ第2弾、日本が世界に誇るギタリスト・山下和仁さんが、6月3日(金)いよいよフィリアホールに初登場します。1977年16才でラミレス、アレッサンドリア、パリの三大国際ギター・コンクールに史上最年少優勝を果たして以降、天才ギタリストの名をほしいままにし、唯一無二のその音楽は今なお世界中の多くの聴き手を魅了してやみません。長崎にお住まいの山下さんとはメールでのインタビューとなりました。

小さい頃は、ギターの天才少年として広く知られた存在だったと思いますが、どんなお子さんだったのでしょうか。

父が自宅でギターを教えていました。小学校登校前に玄関で練習していたそうです。放課後は友達と野や山で遊んでいました。

大学は工学部、経済学部と進学されました。

ギターだけをやって人生を過ごしていこうとは思っていませんでした。ところで、日本の音楽大学には今でもほとんどギター科がありません。大規模なギター・フェスティヴァルも日本にはないです。私におまかせいただければ、おもしろいことをやりますが。

80年代に、展覧会の絵、火の鳥、新世界より、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のギター編曲など、従来のギターの概念を打ち破る画期的な作品を次々と発表され、一大旋風を巻き起こしました。

もう昔のことですね。あちこちでお答えしたので繰り返さなくてもいいでしょうか(笑)。

今回のプログラムについて――奥様でいらっしゃる藤家溪子さんの作品は山下さんの近年の活動の中でも中心を為すもので、またバッハはご自身の編曲の無伴奏チェロ組曲第6番です。

当初、「バッハの夕べ」をとのご要望でした。バッハだけで七夜の公演が可能です。しかし思いがけなく「藤家溪子と半分ずつで」とのご要望に変わりました。藤家溪子は、横浜市の委嘱で、尺八とチェロとギターのための「風神」という曲を書き、たびたび再演されています。ギター協奏曲を3曲、ギターを含んだオペラや合唱曲、室内楽もあります。セゴビアやブリームの作曲家への委嘱活動のおかげでギター曲は増えましたが、管絃楽曲なども書ける水準の作曲家の曲は多くはなく、藤家溪子がギターの世界に飛来したことはありがたいと思います。バッハも家族ぐるみで音楽に取り組みました。代々の家業という感じです。利害を超えて力を合わせることは、家族ならば決して難しくはありません。そういう中から、新しく、力強いものが生み出せるのだと思います。

心揺さぶる“カンタービレ”な音、張りつめたピアニッシモ、咆哮する低音など、非常に多彩な音色と比類ない集中力をもって発する山下さんの音楽には圧倒されるものがあります。ホールの空間の中で満場の聴衆が息をのみながら1本のギターの音に耳を傾けている、そんな状況にいると、人が音楽をする意味や、あるいは聴く意味までも深く考えさせられます。山下さんの目指す音楽はどのようなものでしょうか?

鑑賞とは、作ったり弾いたりする以上の創造行為とオスカー・ワイルドが書いています。私の演奏はたいしたものではないです。私はからっぽなのかもしれません。心がけているのは、良い曲目を選ぶこと。あとは楽器を手に、楽器の自然のせせらぎを待ちます。欧米ではプログラムはアーティストにまかされています。日本でもできるだけおまかせいただけると幸いです。

ご自身のお子様とのギターアンサンブルも取り組まれていらっしゃいます。音楽活動の近況を教えていただけますか。

私の最近の音楽活動は、家族とのアンサンブルがほとんどで、最大の成果と評価もそこにあります。2003年に長男、長女、次女とカルテット「山下和仁+バンビーニ」を結成し、ローマ国際ギター・フェスティヴァルでデビューしました。当地の新聞で「かつてドイツなどに存在していた家庭音楽が日の出づる国にもある」と評されて以来、 欧米各地、ヴェトナム、日本、韓国で公演してきました。源氏物語にも描かれている、平安期の殿上人たちの絃楽器の合奏をイメージした、藤家溪子作曲の「かさね」が曲目の中心でした。家族の旅は、それまでの一人のツアーと異なり、ゆったりとしたテンポです。カンボジアやアイルランドへも旅し、いろいろな人々と知り合いました。昨年、次男も加わり「山下和仁ファミリー・クインテット」と改称、五重奏の新作「千夜一夜絵巻」をトリノとシンガポールで初演。今年は、コルドバ・フェスティヴァルから招待されています。ボブ・ディランやラリー・カールトン、パット・メセニー、パコ・デ・ルシア、など大物ギタリストが登場するコルドバ・フェスティヴァルへの出演は2度目で、今回は「千夜一夜絵巻」に加えて、次女とのデュオによる「シェヘラザード」、昨年ウィーンのカール・シャイト国際コンクールで好成績をおさめた長男によるソロも。今年はチェコでも初公演、イタリアも再訪します。

音楽家としてのこれからの夢・目標は何でしょうか。

20代の頃は年間100回ほど演奏会をしていました。30代半ばになったら第一線から退きはじめるべきだと思います。若いギタリストにできるだけ席を譲り、若い作曲家に新作発表の場を提供する努力をしてきました。高齢化社会となった日本では、“生涯現役”をやたら礼賛する傾向がありますが、若者に譲るべきところは譲っていかなければ、社会全体が年老いてしまいます。素晴らしい“御隠居さん”が落語の中にしか登場しないのでは、味気ない。“古老”と呼ぶにふさわしい魅力ある老人たちは、私の人生にも豊かな影響と刺激を与えてくれました。その中の一人の弁ですが、「年寄りは求められた時に出ていくぐらいでちょうどよい」のでは?俗世を離れ、その上でできる“仙人の遊び”のような境地の芸術もあると思います。しかしそれは、ちまたで軽々しく“円熟の境地”などと粉飾されているものなどとは、かけ離れたものと想像します。「かさね」を聴いたパヴェル・シュタイデルが「ほどなく、この音楽の意味するところを、皆が理解する日が来るだろう。なんと優美なことか。地球よ、そして地球上に息づき、育まれるあらゆる存在よ、この音楽のように優美であれ。」とメッセージをくれました。この世界、そして人間は美しいですが、今の時代はちょっとあぶない感じでもあります。経済偏重、利便性の追求に傾きすぎた時代を内側から変化させるために、音楽家としてできることをしようと思います。

折りしも東日本大震災を挟んでのメールインタビューとなり、この未曾有の危機に際し、音楽家・音楽関係者とも自らの在り方を根底から問われる中、山下さんから何か力強いメッセージをいただいた形となりました。その慧眼ぶりに改めて感服すると同時に、6月の公演ではどのような音楽(メッセージ)を奏でていただけるのか、なお一層期待が高まります。世界には様々な音楽があり、その楽しみ方もまた千差万別ですが、ひとつの答えを示してくれる山下和仁の音楽に、ぜひこの機会に触れてみてください。