Fhilia Hall
アーティスト インタビュー

ピョートル・アンデルシェフスキ ピアノ

2015年2月27日 19:00コンサートの詳細

 

理性的にも、魂においても音楽と一体化する。

2015年2月に来日公演を行うポーランド出身のピアニスト、ピョートル・アンデルシェフスキ。初のフィリアホールでのリサイタルは、J.S.バッハとシューマン、ふたりの作曲家に焦点を絞ったプログラムになりました。特に今回、シューマンの「ノヴェレッテ」を聴くことができるのはここだけ。音楽を徹底的に追求し思索を重ねるスタイルで、唯一無二、「ただ一つの世界」を創り上げる彼の思想の一端を、インタビューからうかがうことができました。

 

 

今回のプログラムはバッハとシューマンが並びました。昨年リリースされたバッハのイギリス組曲のCD(12月3日発売WPCS- 12882)を始め、あなたのレパートリー中で、バッハとシューマンは特別な存在のように感じられるのですが。

 

そうですね。シューマンは私の心に大変近い存在です。彼の残した作品は彼が天才であった証です。私自身、ピアノ曲のみならず、ピアノ協奏曲、室内楽(ピアノ5重奏)、歌曲を演奏してきましたが、演奏を通してシューマンの偉大さを一層強く感じずにはいられません。彼の作品にはどこか夢見心地のような、私たちが一体どこにいるのかわからなくなるような、そんなところがあります。とても主観性の強い音楽です。
今回は2年間弾きこんできた《幻想曲》を初めて日本で弾くこととなりました。私は一つの作品を繰り返し弾き、時間をかけて、いろいろな考えや想いと言った自分自身をその作品に投入します。そのように時間をかけて多くの想いや考えを込めたシューマンを聴いていただきたいですね。
今回のプログラムでは、そのシューマンとある意味で対極にある作曲家、バッハの作品を組み合わせました。この組み合わせはとてもバランスが良い、と私は考えています。バッハは私が常に立ち返っていく作曲家であり、私にとって大切な作曲家の一人です。健康的とも言えるバッハの音楽は、私を地上へと呼び戻してくれるのです。そう、地に足の着いた音楽と言ってもいいかもしれません。

 

このシューマンの《幻想曲》は、始めは《フロレスタンとオイゼビウスによる大ソナタ》として書き始められたとも言われていますが。

 

私はソナタ、およびソナタ形式の意味にはとてもこだわりがあり、勉強もしてきました。そして、この《幻想曲》をソナタと呼ぶべきではない、と考えます。作曲家自身も最終的にそのようなタイトルをつけていません。長めの第1楽章があり、3つの楽章からなることから表面的にとらえてソナタとする向きがあるのかもしれませんが、私からすると決してピアノ・ソナタではありません。でも、偉大な天才による傑作であることには変わりありませんよ。

 

シューマンの晩年の作品はクララ・シューマンによって破棄されたとも言われていますね。

 

ええ、本当に残念ですね。確かに彼は晩年にその精神のバランスを崩します。そしてその中で書かれたものがどのような規模、量、形態であったか、は全くわかっていません。でも、彼の素晴らしい才能を明確に示すものが必ずそこにはあった、と信じて疑いません。残念です。

 

その一方でバッハの作品を演奏する上での楽器についてはどのように思われますか。あなたの楽器は現代のピアノと言うことになりますね。

 

ええ、そうです。確かにバッハの時代には今のようなピアノは存在しませんでしたし、バッハはその当時の鍵盤楽器を用いて作曲をしました。でも、私自身は博物館に収められた過去の遺物には興味がありません。さらにはバッハの音楽は過去の遺物ではないし、そうであってもいけません。過去に演奏されたように可能な限り正確に再現することには私は興味がないのです。もちろん、当時の演奏を知ることは、音楽学的には大変に興味深い分野であると思いますし、知識として意義を持つものです。でも、バッハが彼の作品を作曲した時代と、現代は状況が大きく違います。昔は、飛行機はもちろん、地下鉄もなければ、車もなく、住居の環境も大きく違いました。人々の生活、聴く音、何もかもが今とは違っていたのです。こうして考えるとき、聴衆がバッハの音楽をどう受け止めたか、どのような気持ちで聴いていたのか、現代人のバッハの音楽に対する受け止め方や聴こえ方とは決して同じではないはずです。
最終的には、なぜ音楽を演奏するのか、あるいは、なぜ聴衆を前に演奏をするのか、といった音楽家としての哲学の問題となるのだと思います。

 

では、あなたにとって音楽家としての理想の演奏とはどのようなものになるのでしょうか。

 

一つの作品を何度も何度も繰り返し弾き、自らの音を繰り返し聴き、熟考に熟考を重ねて、最後には理性的にも、魂においても音楽と一体化して演奏することが理想的ですね。ただし、かなり時間をかけて弾きこんだ作品であっても、それを聴く聴衆にはあたかもその作品が、今そこに生まれ出たかのような幻想を見せるような、作品の再創生とでも言いましょうか、そんな状況が理想的だと考えます。もちろん決して一人よがりになってもいけません。演奏家が作曲家の上に立つことはないのですから。

 

最後に日本の聴衆にメッセージをお願いできますか。

 

日本には素晴らしいホールが多くあり、フィリアホールへうかがうのも今からとても楽しみです。日本の聴衆にはクラシック音楽に対する造詣の深い方が多く、集中力を持って聴いてくれます。そして何よりも音楽を愛していらっしゃることがよくわかります。そして日本の素晴らしい文化。大好きな日本にうかがうのを今から楽しみにいたしております。

 

 

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