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崎谷直人(ヴァイオリン:神奈川フィルハーモニー管弦楽団 ソロ・コンサートマスター)

Naoto Sakiya, Violin

出演日:2019年10月3日(木)14:00

Thursday 03 October 2019 , 14:00

綺麗なだけではない、「生」と「性」の音楽世界。

神奈川県、そして日本を代表するプロフェッショナル・オーケストラ、神奈川フィルハーモニー管弦楽団。近年とりわけ活発な活動で注目を集めるこのオーケストラを支えるのが、二人のコンサートマスターです。ひとりはインパクト大のビジュアルで知名度も高い首席ソロ・コンサートマスター石田泰尚氏。そしてもう1人が、今回登場するソロ・コンサートマスター、崎谷直人氏です。多忙な神奈川フィルの活動のほか、ソロ活動や自身が1stヴァイオリンを務めるウェールズ弦楽四重奏団での活動で注目を集める崎谷氏。今回、氏が出演する10月の室内楽公演のメイン曲、シェーンベルクの「浄夜」は当ホールからの提案でしたが、そこに崎谷氏が考え抜いた、こだわりの曲目が組み合わさったプログラムになりました。そのプログラムの聴きどころと選曲の狙いについて、崎谷氏から詳しく話をお伺いすることができました。季刊誌「PHILOS」でその一部を公開していましたが、こちらのWeb版ではロング・インタビューを全文公開!

(※崎谷氏の「崎」の漢字は正しくは「大」の部分が「立」になります。Webサイト仕様上の制約から、当インタビューではすべて「崎」の字に統一いたしております。何卒ご了承ください。)

ー崎谷さんはオフの日はどのように過ごしていますか。

崎谷:オフの日は、譜読みです。練習をしなくてはいけない楽譜がとても多いので、ずっと楽器を弾いています。あとは、クラシック以外の音楽を聴いたりしています。

 

ー何か好きな音楽ジャンルはありますか?

崎谷:じつは、ロックのセッションライブをよく聴きに行くんです。先日も神奈川フィルの定期演奏会が終わった後、横浜のHey-JOE(ヘイジョー)というライブハウスで、僕が大ファンの元WANDSの柴崎浩さん(ギタリスト)のライブを聴きました。今度、共演もするんですが、10年くらいずっとライブは聴き続けています。クラシックでも好きな音楽家はいますし、オフの日にオペラ観るのが気分転換になるという人もいますが、僕は全然違うものばっかり聴いています。

 

ー(崎谷さんが今日着ている)Tシャツにもカート・コバーンが…

崎谷:良くご存知ですね!(元WANDSのボーカリスト)上杉昇さんのライブもこの前行ったのですが、素晴らしかった。皆さん、本当にすごいです。

 

ーそれは自分の活動に活かすこととは、また少し違うところがありますか?

崎谷:僕は上杉さんも大好きで、彼はWANDSを辞めてから特攻隊の歌とか、戦争の歌とか、すごい歌をたくさん歌っているんです。ロックはもともと「良い子の音楽」ではないのですが、日本のメジャーシーンで売れるために、綺麗なものとか美しいものとか、恋や愛や平和、みたいなことしか歌えていない人が多いですよね。そうじゃないことをやれる人、やっている人は少ない。日本はそういうところが独特だと思います。政治でも宗教でも、テーマは何でもいいのですが、物事は色々な角度から見ていいはずです。ただ、売れるためには言いにくいことがあるし、それを言ってしまうとメジャーなところで活動がしにくくなる。そういうことを気にしないで、自分の伝えたいことを変えずに音や歌詞に乗せる勇気を持っている。これはどう見られるか気にしてない、ということだと思うのですが、その域にいる音楽家が果たしてクラシック音楽業界にいるかな?と思います。自分も含めて、そう多くはないですよね。上杉さんのライブを聴きながら「クラシック音楽を含む日本の芸術は、今後どうなってしまうんだろう」ということは考えてしまいます。

 

ークラシック音楽というジャンル特有の事情が、もしかするとあるのかも知れません。何かそういう今の業界に一石を投じたい、というお考えも?

崎谷:多分、石田泰尚さんもそうだと思うのですが、何かに媚びてきたわけではなく、自分がやりたいことを続けた結果、いまの自分があると思っています。この業界に何かを遺してやろう、なんて大層な想いは持っていませんが、自分がやりたいことだけで生きていけなくなったら、もうヴァイオリンの演奏はやめてもいいと思っています。ただ、今は自分が表現したいことをさせてもらえる環境にいて、神奈川フィルのメンバーを始めとした色々な方に助けていただいているので、本当に感謝しています。

 

ー神奈川フィルのコンサートマスターと別に、ウェールズ弦楽四重奏団の1stヴァイオリンやソロ活動をされていますが、それぞれの領域での面白さや大変さを教えてください。

崎谷:第一生命ホールでベートーヴェン・ツィクルスが始まったのですが、ベートーヴェン以外の曲も弾きたいという話もメンバーの中でよく出ます(笑)。神奈川フィルの弦楽器の首席陣とコラボするのも面白いかもしれません。門脇さん(神奈川フィル首席チェロ奏者)とシューベルトとか、大島さん(神奈川フィル首席ヴィオラ奏者)とブラームスとかは魅力的ですね。

 

ーオーケストラと室内楽の違いはどう考えますか。

崎谷:よく「オーケストラは室内楽の拡大版」と言う方がいますが、僕はまったくそう思ってないんです。弦楽四重奏(ウェールズ弦楽四重奏団)を結成して15年になりますが、僕ら4人は、一緒に留学して、一緒に同じものを見て、同じ人に習って、同じ音楽を聴いてきました。しかも、4人の年齢もあまり離れていない。そうなると、4人の実力や考え方が揃ってきます。一方、オーケストラでは、聴いている演奏家や名盤と思うCD、良いと感じる指揮者など、バックグラウンドの異なるメンバーが70人もいます。4人のメンバーに近似性がある室内楽で音楽を突き詰める作業と、多様な方がいるオーケストラで音楽を突き詰める作業は全く違うことだと思っています。
最初は「オーケストラは室内楽の拡大版」という考え方を、僕もコンサートマスターとしてオーケストラに落とし込もうとしていましたが、就任2年目くらいの時に「それは違う」ということに気が付きました。オーケストラでの音楽作りというのは、違いがあるメンバーを何かしらの形で一つにするという作業なので、室内楽とは全く違う作業で興味深いです。

 

ーそこは、歴史のある神奈川フィルならでは、という側面も、もしかしたらあるかもしれません。結成したての同世代の人しかいないオーケストラだとまた違うかもしれない。違うバックグラウンドの方と一緒に作り上げていくことは、それなりに労力を伴うものだと思いますが。

崎谷:もちろん、揉めることもあります。ただ、僕が決めているのは、絶対に仲直りする、ということ。相手も相手なりに考えていることがありますし、ぶつかったまま終わってしまうと、それで関係はおしまいです。どんな人でも「あの時はごめん」とちゃんと言うようにしています。それは楽しいことでもあると思っています。それぞれが真剣にやった結果なので、どっちが合っていてどっちが間違っている、ということはほぼありません。

 

ー団員さん皆さんと仲良くされていて、とても距離が近いなという雰囲気をいつもお持ちですが、コンサートマスターとして、そのあたりは気を使われていらっしゃるんですね。

崎谷:そこは気をつけてやっています。もともと僕は根暗なので、人と関わるのが面倒くさいほうなんです。しかも、神奈川フィルに入った時には、ヴァイオリンの中では自分が一番年下だったんです。ファゴットの鈴木一成さんが同い年で、あとはホルンの豊田実加さんとオーボエの古山真里江さんの二人が唯一の年下。ほかは全員年上だったので、最初はどうやっていいか分からなかったですね。
それから七年経って、今はすごく楽しいです。たびたび他のオーケストラにも呼んでもらうこともあります。そうすると、どうしても比較をしてしまうことはあって、日本センチュリーさんは見習うところがとても多く、僕は関西のトップオーケストラだと思っています。僕が、コンサートマスターとして他のオケや他の世界を知ることはとても良い経験なのですが、自分のオーケストラに帰ってきたときに「何で出来ないのか」なんて思って嫌いになってしまったら、多分終わりだと思います。自分がどんな場所に行っても、帰ってきた時に神奈川フィルが一番好きなオケでないと感じてしまったら、神奈川フィルのコンサートマスターとしては引き際と思っています。今は一番好きなので大丈夫です(笑)。自分のオケが好きということは、コンサートマスターの一番の条件じゃないかと思います。
自分がやっている音楽に没頭しちゃう奏者もいますが、オーケストラは自分の音楽をやる場ではないんです。自分もコンサートマスターとして一時期悩んでいた時に、マロさん(篠崎史紀氏、NHK交響楽団第1コンサートマスター)と別の仕事で一緒になった時に「崎谷ちゃん、コンマスっていうのは自分の音楽をやる席じゃないんだよ。いいじゃない、ウェールズとか、マロたちとやる時に自分の音楽を思いきりやれば。“今あることをより良くする為に、何をすればいいのかを考える”のがコンマスだよ」とアドバイスをもらいました。本当にその通りだと思いましたし、自分が変わるきっかけになりました。彼のことはすごく尊敬しています。ウェールズ弦楽四重奏団や、それ以外の活動の場では、芸術に自分の音楽だけで向き合えるので、ある意味それは、音楽家として自分の本当の姿ですね。

 

ーフィリアホールでのシリーズは、ウェールズQの皆さんのようにずっと一緒にやっているわけではなく、オケで一緒にやっている方々との室内楽、という、中間に位置するようなポジションにある企画だと思います。そういうところで、特に考えられることはありますか?

崎谷:このシリーズは共演者が神奈川フィルの仲間だし、普段一緒に弾いている気心知れた人たちだから「きっとこうなるんだろうな」というのはすごく想像がつきます。初めてご一緒する方が多い現場とは全然違う感覚ですね。今回の「浄夜」は若い子が2人入ります。初めての人とリハをする時には、相手が何を考えているのか、何を大事にしているのか、ということを観察しながら弾いてしまうんです。これはコンサートマスターというより、室内楽奏者の発想だと思います。

 

ー今回の公演は一曲ソロ曲(ピアノ伴奏付)も含まれています。そのような曲だと、また違ったりもするんでしょうか。

崎谷:神奈川フィルでも協奏曲などソロを弾かせてもらうことがありますが、室内楽と違って「アウトプットをする量」をとても意識します。室内楽の一番の魅力はお客さんを「引き寄せる」ところだと思うんです。フィリアホールはとてもいい音響空間で、客席のサイズもちょうどいい。なので、こちらから強くアウトプットしなくても、自分たちの音楽に入ってきてもらえる。自分の性格もあって、基本的にはそういうタイプの音楽の作り方をする面があります。でも、協奏曲などでソロを弾く時は、こちらからお客様にアウトプットする量を増やして惹きつけないといけない。これはだいぶ違います。
もちろん、音楽を表現するという本質的なことは変わりません。その曲が持っているキャラクターなどを「内に内に」表現できるのが室内楽の面白いところですし、協奏曲などでソロを弾く時は、「外に外に」向けて発信する、、、この違いはすごく楽しいですね。

 

ーでは、今回のプログラムの聴きどころ、構成について改めて教えてください。

崎谷:「浄夜」の提案をいただいた時、少し悩んだんです。「浄夜」と対比をさせてR.シュトラウスの「カプリッチョ前奏曲(弦楽六重奏)」を入れて、この2曲の間にモーツァルトをはさんで、当時のウィーンのような雰囲気にするプログラムも考えたのですが、物足りなさを感じて、今回の選曲に落ち着きました。

最近、世の中では「綺麗なもの」ばかりをもてはやしている気がします。知名度のある方の犯罪行為がクローズアップされると、「犯罪行為をした人間が作ったものは良くない、まがいものだ」という意見が出て、その人が作った作品や出演しているものがすぐに自粛されますが、この状況に僕は違和感を覚えるんです。例えば、モーツァルトなんて、今の時代に生きていたら毎日ワイドショーの題材になっていますよね。(褒められたような人生ではないですから…)ただ、作品は本当に素晴らしい。作品と、その作品を作った人間を分けて考えらないことは、クラシックに限らず色んなジャンルで表現=芸術を壊してしまうのでは、と思います。そういう意味では、今回のようなプログラムを取り上げられたのはすごく有り難く感じています。

「浄夜」はデーメルが詩で書いた“法で認めがたい愛”を元にした曲です。「違う相手の子どもを身ごもりました」「それでもあなたを愛します」という話です。この曲を作曲したシェーンベルクや画家のクリムトの時代は、性愛的なもの(エロス)を芸術に投影することが盛んに行われていた時代でした。現代では不道徳に映ることもありますが、事実、このような時代はありました。

カップリングで選曲をした「綾子の庭」という作品は、“夫婦の禁断の恋”を描いた「あなたには帰る家がある」というドラマの曲で、テレビを観ている時にすごくいい曲だなと感じたんです。A-Dur(イ長調)からスタートして、ピアノが入ってくるとMoll(短調)とDur(長調)が並行する、明暗がはっきりしない曲なのですが、とても綺麗で数分の短い間にドラマのテーマが秀逸に表現されていて、「浄夜」との組み合わせに共通のテーマを感じました。見方によっては美しく、逆に叩くべき対象にもどちらにもなりうる。こういうところに芸術は生まれるのでは?と思い、選曲をしています。
この曲は作曲した兼松氏が自分がSNSで「この曲が素晴らしい」ということを書いたのを見てくださったみたいで、それでつながって「よかったら」、と楽譜をくれたんです。それ以来「ああ、これはいつか演奏させてもらいます」と思っていました。

モーツァルトの弦楽四重奏曲第15番のメヌエットは、妻のコンスタンツェが初めて妊娠した時の陣痛が本当に耐えられないほど痛くて、その横でモーツァルト自身が見守りながら作曲された曲、という逸話が手紙に残っています。さらに、曲が完成した後に出した、当時関係がよくなかった自分の父親レオポルドへの手紙に「無事生まれました、あなたはおじいちゃんになって、おめでとう」という記述も残っています。全部、妻の妊娠が関係してるんですね。子どもが生まれて幸せな時期、後半生の不幸になっていく前のとても良い時期に、短調である意味少しグロテスクな曲を作曲するというところに、僕はモーツァルトの本質を感じます。子どもが生まれたときの感情には、人間の生き死にや、セクシャルなものも、多分に含まれていたのでしょう。その感情がそのまま音楽=芸術になっていると思います。

今回のプログラムは「性」的な要素や、「生きる」という意味の明るい「生」の要素がありますが、モーツァルトの息子は生まれて早くに亡くなってしまったので、もしかしたら「死」というのは含まれてくるのかもしれません。明るいことだけが芸術になるわけではないと思います。みんなが思っているモーツァルト像ではないところ、もしかしたらモーツァルト自身にも見えていないところに、本当のモーツァルトの姿があるのかもしれません。

 

ー最初プログラムを見た時に驚きがありましたが、普段の「名曲」とは少し違うものをお客様に聴いていただきたいとホール側も思っていたところがあり、そこをうまく汲み取っていただいたプログラムと思っています。

崎谷:R.シュトラウスの「メタモルフォーゼン(変容)」は、第二次世界大戦が終戦した年の4月に弦楽七重奏版で書かれているんです。色々なテーマが出てくる中、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」のテーマを中心のモチーフにしているのですが、これは多分、ドイツの街の歌劇場などが全部壊されてしまったことを示しているんです。そして、ベートーヴェンが書いた「英雄」のテーマが最後には死んでしまう、、、R.シュトラウスはこの音楽の中で、戦争によるドイツ文化の「死」を表現しています。
ただ、戦争が無かったらおそらくこの名曲は生まれていない。もちろん、戦争はしてはいけないことと決まっていますが、じつは何事も紙一重だと思うんです。カート・コバーンだって、最後は薬漬けになって死んでしまった。それが褒められた行為かどうかは別にして、そういう紙一重の人じゃないと生み出せなかったものというのも多分ある。僕らが扱っている芸術とはそういうもので、その紙一重の部分を見なかったことにしていると、日本の芸術史は終わってしまうのでは、と危惧しています。

 

ー「浄夜」は神奈川フィルさんでは既に弦楽合奏版を演奏されたことがあるとか(マックス・ポンマー指揮)。でもその時は大きな編成で、しかも指揮者の方もいらっしゃるわけで、またそれとは違う表現が出来るのかも知れませんね。

崎谷:六重奏でやったほうが、弦楽合奏版よりも密度が濃いとは思います。だから「メタモルフォーゼン」もいつかやりたいなと思っています。その時の演奏会のテーマは「戦争」ですね。

 

ー今回は初共演の方もいらっしゃるとのことですが。

崎谷:中恵菜さんと矢部優典さんとは初共演です。恵菜さんは「カルテット・アマービレ」という弦楽四重奏団のメンバーで、ウェールズ弦楽四重奏団で入賞したミュンヘンの同じコンクールの弦楽四重奏部門で入賞しました。矢部さんは、ウェールズのメンバーの富岡廉太郎が「彼、いいよ」と勧めてくれました。「浄夜」は作曲家が若いときに書いた曲なので、自分よりも若い人と演奏したいと思っていました。少し話はそれますが、僕が20歳くらいの時に、ちょうど10歳年上の鈴木康浩さん(現、読売日本交響楽団ソロ首席ヴィオラ奏者)から「一緒に弾かない?」と誘っていただいて、銀座の王子ホールで、泉原隆志さん(現、京都市交響楽団コンサートマスター)たちとドヴォルザークの「アメリカ」を弾いたことがあります。このコンサートが第一線で活躍するプロの人と初めて演奏した室内楽だったんですが、本当に衝撃を受けました。ふと、その誘いをくれた鈴木さんの年齢と同じ年齢に自分もなったんだなぁ、と思って10歳くらい年下の共演者を考えたら、今回初共演の2人がちょうどその世代でした。彼らは既にたくさんのキャリアがあり、10年前の自分と同じとは言えませんが、いまからどのような音楽作りができるかとても楽しみにしています。

 

ーフィリアホールの響きはいかがですか。

崎谷:何度も演奏していますが、とても素晴らしい響きを持っています。以前、ジャニーヌ・ヤンセンのリサイタルを客席で聴かせてもらったとき、細かいニュアンスまで全部伝わってきて、それを聴いたときに音楽はやはり空間芸術だと思いました。音の伸び縮みが奏者の周りだけでまとまっている時と、聴衆に迫ってくる時の表現が両方あって、来ると思えば、こちらが身を乗り出さないと聴こえない、という時もあって…彼女のその表現力の幅が凄かった。伸びた音に対して次の音のタイミングは…とか、こちらもプロなので、分かってしまうんです。(出来るか出来ないかは別にして)そうやるんだ!という高い技術に目がいってしまう。純粋に音楽が好きな人が聴いたら、もう本当にすごい世界だろうな、と思います。


■ ーその演奏会にいらっしゃった後、Twitterで「何の参考にもならなかった」と呟かれていましたが(笑)。

崎谷:本当に、あそこまでいっちゃうと凄すぎて。何の参考にもならない。


■ ーその後しばらくしてヒラリー・ハーンが当館でリサイタルを開催したのですが、ヤンセンとはまた違う方向性で凄まじかったです。

崎谷:コンチェルトの勉強をする時は、ヒラリー・ハーンの演奏を聴くことが多いんです。聴き取れない音が一音もなく、かつ癖がない。テンポは速めだけど癖がないから全部聴き取れるというのは、もはや何なんだこの人は…と思います。


■ ー最後に、お客様へのメッセージをお願いします。

崎谷:いいプログラムだと思いますので、ぜひ聴いてほしい。テーマがはっきりしているので、聴いて色んな情景を思い浮かべて頂きたいと思っています。非現実的な世界かも知れないです。ちょっとこう・・日常とは違う、非現実的な気持ちになってもらえればと思います。フィリアホールはとても音が良く、本当に気持ちよく演奏できるホールです。


(取材・文:フィリアホール企画制作部 協力:神奈川フィルハーモニー管弦楽団)

 

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