Fhilia Hall
アーティスト インタビュー

横浜シンフォニエッタ
横浜シンフォニエッタ事務局長
フルート奏者 北川森央

2013年11月 2日 19:00コンサートの詳細

 

世界に雄飛する、横浜シンフォニエッタ!

山田和樹のブザンソン国際指揮者コンクールの優勝直後、2009年10月の横浜シンフォニエッタの "凱旋公演"が、満場の聴衆の熱気と期待に応える快演で大いに盛り上がったのも記憶に新しいところ。今年はじめにはフランスのナントでのラ・フォル・ジュルネ音楽祭に日本の団体として初めて招待出演して絶賛を浴び、いよいよ快進撃を始めた横浜シンフォニエッタ。今年度からは正式にフィリアホール共催事業として、この横浜・青葉台の地でさらに積極的な活動を展開していきます。音楽界の才人・鈴木優人の"首席指揮者就任記念"となる11月の演奏会を前に、フルート奏者兼事務局長の北川森央さんにお話を伺いました。

 

 

鈴木優人さんが首席指揮者に就任されました。

 

鈴木優人さんは横浜シンフォニエッタのメンバーの多くにとって旧知の仲間です。私は東京藝大バッハカンタータクラブ(小林道夫を指導者として1970年に創立した、J.S. Bachの教会カンタータを演奏するクラブ活動)で彼と出会い、多くの公演を共にしました。彼はそのクラブの中心的なメンバーとして活躍し、彼と共演した仲間はみな、彼の類稀な音楽性、明るく包容力のある人間性に惹かれました。鈴木雅明を父、鈴木秀美を叔父に持つ、まさに音楽一家で育ち、藝大では作曲を学び、指揮もピアノもチェンバロもオルガンも何でも来い、の天才肌オールマイティー音楽家であり、さらに近年は音楽・ダンス・映像・照明・電子音響との複合的な演奏会を企画するなど独創的な企画力でも評価されています。何カ国語を話せるの?!という国際性も魅力の、これからまさに世界を背負っていく音楽家です。翻って、我々横浜シンフォニエッタは今年に入ってすぐに、初の海外公演としてフランスのラ・フォル・ジュルネ音楽祭に招待され出演、テレビ番組「題名のない音楽会」にも出演、と活動のスケールが一気に広がる局面がありました。さらなるオーケストラの音楽的発展のために指揮者陣を二人体制にするという話が持ち上がったとき、創立者であり音楽監督の山田和樹より、首席指揮者として鈴木優人さんをお招きするアイデアが出されました。早速に指揮者就任を打診してところ、快諾してくださいました。友人としてみた山田、鈴木の両マエストロですが、両者ともに一人っ子(ちなみに事務局長の私も・・・)、明るい、親切で面倒見がよい、お客様思い、友達思い、家族思い、アイデアマン、ヨーロッパ在住、などなど多くの共通点があり、かつ、指揮者としての方向性は重ならないところなど、お二人で車輪の両輪となって横浜シンフォニエッタを率いてもらう最適の布陣になったと考えています。これから、横浜シンフォニエッタは、日本の、いや世界の音楽界の将来を担う山田、鈴木という若き指揮者二人体制を組み、更なる発展を目指します。

 

今回のプログラムは、メインのブラームスに、モーツァルト、コルンゴルトです。意図をお聞かせください。

 

鈴木優人さんの首席指揮者就任記念ということで、音楽監督とも相談しながら、鈴木さんがこの横浜シンフォニエッタと共にやりたいこと、その方向性を一挙に示すことができるような意欲的な選曲をしてもらいました。今回は「ウィーンの天才たち」というべき共通項をもつ3人の作曲家によるプログラムになっています。まずモーツァルトは、ご存知オーストリアのザルツブルクに生まれた神童。その後ウィーンに移り住み、その地で没した史上最高の天才作曲家です。その交響曲第35番「ハフナー」は祝祭的な明るさに満ち満ちており、新しい指揮者を迎えた出発にふさわしい曲です。コルンゴルトは、なんと9才でカンタータを作曲するなど、そのあまりの早熟ぶりに「モーツァルトの再来」と呼ばれたウィーン音楽界のホープでしたが、その後移住したアメリカで映画音楽の礎を築き、まさに19世紀から20世紀への架け橋となった作曲家であり、その重要性は最近特に見直されています。今回、コルンゴルトが11才(!)のときに作曲した楽しいバレエ音楽「雪だるま」から抜粋でお届けします。そしてメインプログラムは、横浜シンフォニエッタにとって初挑戦となるブラームスの大作、交響曲第4番です。これはブラームスの作曲した最後の交響曲であり、その第4楽章はJ.S.バッハの作曲したカンタータ第150番の終曲「わが苦しみの日々を」を題材にしたシャコンヌ(変奏曲の一種)であり、ブラームスのバッハへの共感がロマン派音楽の中に美しく花開く様を見ることができます。長年お父上と共にバッハ演奏に関わってきた鈴木さんの経験を100%生かせる、名曲中の名曲です。バロック時代から20世紀までを内包するプログラム、鈴木さんからは「初めてのセッションが楽しみで楽しみでなりません」とメッセージを受け取っています。私も今から、どんな素晴らしい世界が出現するのかワクワクしています。

 

そして今回初めて、夜の本公演に加えて、ランチタイム公演も実施されます。

 

新企画のランチタイムコンサートは、4才以上のお子さま連れでお聴きいただけます!より親しみやすく、かつ本格的に楽しめるものを目指しています。夜のオーケストラ演奏会でも取り上げる3人の作曲家、モーツァルト、ブラームス、コルンゴルトのさまざまな編成の室内楽をお届けしますが、大勢で弾くオーケストラと違って、しばしば特定の人のために書かれるこれらの音楽は、より親しみ深い作曲家のプライヴェートな世界を味わえます。オーケストラ曲だけを聴いていただけではわからない作曲家の別の顔を見ていただいて、本編の夜のプログラムもより深く味わっていただけると思っています。コルンゴルトは近年の再評価の機運が高まっている作曲家ですが、ロマンティックで雄大、そして親しみやすさも兼ね備えており、一度耳にしていただければ気に入っていただけることは請け合いです。

 

藝大時代からの創立メンバーとして、いま飛躍する横浜シンフォニエッタへの想いをお聞かせいただけますか。

 

学生時代に作ったオーケストラが15年もの長い間続いているというのは本当に奇跡的なことだと思っています。設立当時は、練習のために学校内のホールを借りるのにも一苦労で、我々を応援してくださる先生方にホール使用の申請書類にハンコをいただいたり、到底オーケストラが入れきれないような狭い部屋で強行的に練習したり、本当に場所がなくなると廊下で立って練習したり、メンバーがみんな都合が悪くて集まらずたった数人で交響曲を練習したり・・・、今では全部良い想い出になっています。苦しいこともあったからこそ、(ここだけは仲間言葉で)山田君と気の合う仲間とオーケストラができることが本当にうれしくて楽しくてたまらなかった。フルトヴェングラーのように本当に、指揮者が気合を充溢してブルブルしているだけで交響曲「運命」の出だしが揃うかなんて実験もしました(ちゃんと揃いましたよ!)。毎週練習のあとは上野駅の上の食堂で仲間の何人かとご飯を食べるのが恒例となっていました。庶民的な食堂でしたが、まだ学生のマエストロがその度に全員におごってくれていました。毎回のことに遠慮すると彼から一言「指揮者の仕事はオーケストラを食べさせることなんだから、僕の仕事を取らないでよ!」と。まさにマエストロの財布で、みんな同じ釜の飯を食ったわけです。このときの会話でマエストロ山田はトマト嫌いであることが判明(現在は克服)、オーケストラの初代の名前「TOMATOフィルハーモニー」が生まれたのです。この、彼のオケ思い、仲間思いの性質というのは彼の仕事人としての使命感の根幹を占めているのではないかと考えています。しばらくの間は、楽譜の手配や送付、練習場の確保、楽器運搬なども全て、マエストロが自分でやっていました。彼曰く「楽器運搬のために2トントラックなど運転したりしましたが、2トントラックの運転経験のある指揮者ってなかなかいないと思います(笑)」だそう。随分と山田君には苦労かけてしまったね、というメンバーの想いも横浜シンフォニエッタのプロ化、法人化の原動力になったと思います。

 

横浜シンフォニエッタの今後の展望を教えてください。

 

ホームグラウンドである横浜に根ざした活動を大切にしていくことは当然として、フランス公演(ラ・フォル・ジュルネ音楽祭)に続き、今後は海外公演にも力を入れていきたいと思っています。音楽監督が常日頃から言う通り、海外公演はオーケストラが飛躍的な進歩を遂げるのに必要不可欠な要素だと思っています。またできる限り、我々と同世代の若い作曲家を演奏会で取り上げ、世の中に紹介していくことは横浜シンフォニエッタの責任と考えています。また、今回取り上げるコルンゴルトのような知られざる「現在に近い作曲家」にも光をあてていきたいと考えています。機動力を駆使して、横浜シンフォニエッタだからこそできるプロジェクトを追求していきたいです。

 

 

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