Fhilia Hall
アーティスト インタビュー

ブルーオーロラ サクソフォン・カルテット

2015年3月26日 11:30コンサートの詳細

 

音楽は自分を映し出す最高の「鏡」。

人の心に強烈に訴えかける圧倒的な表現力と技術で、サックス界で確固たる立ち位置を得ている平野公崇。その彼が満を持して結成した、各世代の才能を結集した「最強」サックス四重奏団がフィリアホールに初登場!この編成のために書かれた名曲から、平野自らがアレンジするバッハ、あるいは日本の旧き旋律の編曲まで、一挙に駆け抜ける1時間。期待の公演を前に、平野氏にお話を伺うことができました。

 

 

平野さんはフィリアホールには何度もご出演されていますが、ホールの響きはいかがでしたか?

 

 本当にいい響きのホールで、どちらかというと豊かな響き。足らないってことはまったくなく、だからといって響きすぎるということもなく。どこに座っていても当たり外れのない、あったかい感じの響きで、とってもやりやすい。サイズもとても良いですね。

 

カルテット編成でのご出演は初めてになりますが、結成のきっかけを教えてください。

 

 カルテットは昔からやってみたかったのですが、納得のいくメンバーが4人揃うのは結構大変で。どのカルテットも横のつながりで、同年代・同級生で組んだりすることが多いのですが、5年前くらいに「そうか、別に違う世代でもいいんだ」と思って、いろんな世代に目をやったら、各世代にピカピカ光るアーティストがいた。経験値にばらつきがあっても、腕が一級品ならいいんだと。世代が違うと、年を重ねて同じ感じでくたびれてくるようなことがない。新陳代謝を得られてお互いに刺激がある。ゆくゆくは私が引退して…(笑)たとえばオーケストラというのは新しい人が入って、100年とか200年とか引き継がれて、伝統というものができあがってきますよね。そういう風なカルテットがあってもいいのかなと。

 

仲間が集まっている、というのとは少し違うのですね。

 

 和気藹々とはしてない(笑)。あまりにもしてないから、リハーサルっていうのも工夫しています。練習してても煮詰まってしまうと、リハーサル中ずっとトランプしてたり(笑)。その中でだんだん縦の関係が崩れていい感じになるとか。室内楽ってソロと違うから、お互いの人間関係とか空気が大事かなと。

 

過去にオール・バッハ・プログラムを組まれていたこともあります。J.S.バッハに対する強い思いがあるのでしょうか。

 

 これは多分に私のわがままで(笑)。私自身が高校時代からずっとバッハを聴いていたので。
 家族が音楽をやっている家だったので、ピアノがあってオーディオがあって、という部屋でバッハのレコードを聴いてるわけですが、ふと本棚に目をやると、世界名画全集があるのに気づき、 バッハって何年ころ生きていたんだろう?どんな生活だったんだろう?と絵の芸術性とは関係無く当時を知る貴重な資料として眺めながら音楽に触れているのが好きでした。今思えばオタク以外の何者でもないんですが(笑)。元々バッハを好きになった理由は、もしかすると「良く分からない」からだったのかも知れません。好きだなと感じる割には、一回聴いただけではなんだかよく分からないところがたくさんあって。当時の高校生くらいの感覚だと、すごい逸脱した音がいっぱいあるように聴こえてたんですね。それがちょっと難しい小説のような、じわじわ分かっていくのが深みにはまっていく最大の原因だったと思います。

今回の「トッカータとフーガ」(ニ短調)は本当に難しい。特にトッカータは即興性の強いスタイルなのでえらく難しい。本来一人で自由に振る舞うものを四人でやるから大変です。リハーサルではほんの数小節に何時間もかけたりしたほどです。
またフーガにもこだわりがあります。この時代、パイプオルガンはかなり斬新な機械だったんだろうと思います。その「マシーン」の魅力をふんだんに表せるのがフーガだと私は思っています。音量、テンポ等の変化からあえて人間性を排除する事で寧ろフーガの面白みが見えてくると思うのです。

 

一方、今回のプログラムではグラズノフのサックスのための名曲や、ドビュッシーのフランス作品、また日本の曲の編曲もありますね。

 

 グラズノフの作品は遺作(最後の番号)で、弦楽四重奏を想定していると思いますが、内容が非常にしっかりある名曲といっていいですね。名曲である上に、後期ロマン派のロシア物という、サックスにとっては本当に希に見る貴重なレパートリーです。本来サックスは木管と金管の音色差を埋めるため、或いは長さの制限を受けずに造れる、木管低音楽器として開発されました。しかし、気が付けば見事な運動性と表現力を兼ね備えたスーパー楽器だったのです。結果、ドビュッシーらフランス印象派も、ロマン派も、どちらにも向いた魅力的な楽器へと成長していったのです。

 一方で「江戸の子守唄」。最近は野球、サッカーでもテニスでも、世界のトップに日本人がいるのは当たり前になりましたよね?音楽の世界でもそうです。なのに、凄く違和感があるんです。それは、私達日本人は、演奏者も聴き手もこれを日本の文化だと思ってはいないと言う事です。誰に遠慮することなく表現できる音楽、自分自身、自分が育った環境そのままの音楽こそ最も強く訴えられる音楽ではないか?と思うのです。こうした理由から日本の音楽、オリジナルのアレンジ、企画を大切にしていきたいと考えています。日本的ってのは、今の日本は歌舞伎とか能とかどの点に戻るというのではなく、いろんな国の文化があっていろんな音楽が鳴ってて、というのがリアルな日本人の姿だと思う。自分たちもお客さんも。それを思うと、今まで自分が勉強してきたことは使っていいだろうけど、それにしがみつくのではなく、より自分の深いところに向いていたいと。どこかからもって来たものではなく、自分たちで試して、決めて、という連続でここまで来ました。
 サックスについては、歴史が浅いということは重い歴史を背負っていないという長所でもある。楽器によっては、クラシックのその世界ではちょっと違うだろ、といわれてしまうけど、サックスの世界ではこの程度であれば外れてるとも言われないんです。

 

今サックスを学ぶ若者はたくさんいます。彼らにメッセージを。

 

 最近の人は「うまい」んですよね。世代が違うから感覚が違うし、昔より楽器がいいですから。でも、おそらく一番違うのは情報量だと思うんです。自分の先生達の頃はもっとそうだと思いますが、僕らの世代ですら、そこにある情報だけではまったく足らなかったので、相当自分なりに考えるとか、自分の考えとか発想がないと、点と点が繋がらなかったんですよね。1から10でも100でも学びたいという時代です。今は100から一番いいところを3つくらい取るか、という時代になってる。
 早いんですけど、脆いんです。その脆さの原因は、自分で考えるとか、自分の考え、一人ぼっちで生きてくという感覚が弱いというか。クラシックの場合はなまじ真似してればある程度形になっちゃうんで、自分の内側に目を向けて、ステージの上で語るべき一言があるのかないのか、というのが一番大事なことかなと。他人の意見に流されないで、自分の意見を少し頑固にもっていいんじゃないかなと。生意気なことですが、そろそろいい歳なんで(笑)。

 

そんな平野さんにとって「音楽」とは何ですか?

 

 まぁ多分、人生で最も好きになったものが「音楽」なのだろうと思います。サックスはと言うと、「好き」なのではなく完全に腐れ縁です(笑)何度もやめるつもりだったのに止めれなかった。そんなサックスに対して入れ込まない気持ちが長年やっても冷静にこの楽器を見続けられている良いところなのかもしれません。
 「音楽」とは本当にその人自身を映し出す最高の鏡です。日々の鍛錬を怠れば、ステージの上で保身に入れば、それらは全て音を通して聴き手に伝わってしまいます。自信に満ちていられるか?心から好きだと感じていられるか?全てが伝わってしまう音楽と共に生きることは修業にも似た人生その物です。

 

 

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