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クリスチャン・ツィメルマン (ピアノ)

出演日:2014年1月23日(木)19:00

Thursday 23 January 2014 , 19:00

ベートーヴェン後期三大ソナタへの挑戦 Ⅱ

素晴らしいことですね。11月からのリサイタルはだから……。

だから、11月はこれらの作品に取り組む最後のチャンスというわけです(笑い)。
そして、3作のリサイタルをするのを私が大いに怖れるのには別の理由があります。私はこの作品を非常に個人的なものとして感じるのです。多くの研究を重ねてきましたし、たくさんのことを感じます。そしていま、誰のレコーディングを聴いても、私にはそれらがとてもとても異なるものに思える。
だから、批評家の多くには、私の演奏は奇抜なものと映るでしょう。とすれば、私には二つの選択肢しかない。ひとつは、正直であること。もうひとつは、誰かを模倣すること。私は最初の選択肢を採りますよ。

 

もちろん、あなたはそうなさるでしょう。

ですが、それは問題を生み出すことになる。これはなにもドイツに限りませんが、批評家のなかには、楽譜を探るのではなく、もっぱらレコーディングを聴いてきた人たちがいるでしょう。彼らはおそらく楽譜をみたこともない。なかには、楽譜が読めない人だっている。こうした人たちには、ある種のものごとが異なってみえるはずです。彼らが私の演奏を受け入れるかどうか、私にはわかりません。ですが、正直であることに躊躇いはありませんよ。なぜって、私にはそれ以外に選びようがないのだから(笑い)。

 

リサイタルがますます待ち遠しくなってきますね。ところで、これらの3大モンスターに、個々にではなくまとめて挑戦するうえで、もっとも大きな課題はどんなところにあるとお考えでしょうか?

もっとも大きな問題は、作品に対する私のリスペクトにあります。
そして、歴史的な問題もありますよね、ピアノという楽器に関しての。ベートーヴェンにおいてはとくにそうです、彼は難聴でしたから。こうしたことがすべて絡まり合って、いっそう問題を複雑にしているわけです。
けれども、私の夢は必ずしもプロフェッショナルな人たちにこの音楽を届けることではありません。むしろ、あらゆる人に理解されるものであってほしい。多くの人々は気づいていませんが、私たちはみな心のうちで芸術を必要としているのです。そして、アーティストのように行動しますが、彼らについてのカテゴリーというものは存在しない。ピアノ演奏、ヴァイオリン演奏、バレエ、演劇などといったカテゴリーはあるものの、彼らについての分野は存在しないか、いくつかの国においてのみ存在するだけです。
しかし、私はかたく確信しているのですが、人間というのはアーティストであるからこそ人間なのです。誰もが芸術家です。人は芸術的なものに対して紛れもない要求をもっている、表面上それが人間として最重要のものとはみられないだけで。しかし、結局のところ、これこそが私たちを動物から区別しているのです。

 

あなたはいま「芸術」という言葉をどのような意味で用いているのでしょう?

私は芸術を用いなどしません。私が、芸術の犠牲者なのですから(笑い)。

 

芸術の定義とはどんなものですか、あなたにとって。

定義などありません。それは非常に大きなテーマですよ。きわめて難しい主題、……哲学の領域でしょう。
芸術の定義を根本的にいえば、私にとっては、感情のコミュニケーション。言葉ではもはや抑えられないような情感の伝達です。つまり、非常に抽象的な感情、ときにはとても深い感情を、音楽でなら伝えることができる。しかも言葉を用いることなしに。歌詞のない歌であるにもかかわらず、人々を涙させるのです。変イ長調ソナタの緩徐楽章をみましょう。それは私が人生で演奏してきたなかで、もっとも悲しい音楽のひとつです。ほんとうに悲しくて、信じられないほどです。

 

そして、とても美しい。

さて、私はなぜ演奏するのか? 私はこの音楽の最初の犠牲者なのです。なぜなら、舞台の上でも、まったく同じように音楽は私を感動させます。正直であるためには、そのようにする必要があるのです。こうでなければならないし、それ以外のやりかたを私は想像できない。

 

<インタビュー・文 青澤隆明、協力:ジャパン・アーツ>

 

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